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2021.03.16(火)
正信偈の行譜・草譜 

毎日お仏壇で唱えている正信偈の節回しに「行譜」と「草譜」があることの意味について気になっていた。
去年の10月11日に、妻の死後お世話になっているお寺さんで、初めて報恩講をして頂いた。その時、正信偈を上げて頂いたのだが、節回しは「草譜」だった。
私はたぶん5~6歳ごろから、祖父母と共にお仏壇の前で正信偈を唱えてきたが、すべて「行譜」だった。小学生の頃は、日曜学校というお寺さんでお経を習う習慣があったが、そこでも「行譜」で習った。数年前まで「草譜」という節回しがあることすら知らなかった。

その節回しの違いの意味について、ネットを検索して『正信念仏偈 データベースとeラーニングの構築』という深見友紀子氏の記事によってやっと知ることができた。

それによると、正信偈の節回しに3通りあるらしい。

a)「真譜」(しんぷ) :本願寺における「御正忌報恩講」で、1月16日の晨朝勤行にのみ用いられる旋律。
b)「行譜」(ぎょうふ):比較的重要な法要の際に用いられる旋律。
c)「草譜」(そうふ) :日常的に用いられる旋律。
という違いらしい。ここで(a)は特別なもので、在家の我々には(b)の行譜と(c)の草譜だけを知ればよいことが分かった。

ところで、私が育った福井県鯖江市や、今住んでいる福井市などでは、お葬式のお通夜にはお坊さんは「正信偈」をお唱えになる。この時、司会の方が「ご一緒にご唱和ください」と言われるが、50人ほどの参列者があっても、唱和しているのは、ほんの2~3人だ。
戦後、学校では宗教のことを教えてはならないことになったり、核家族化によって祖父母からの伝承が途絶えたり、新興住宅地や団地では仏壇を置くスペースがない家が多くなったりなど、色々な理由で無宗教の人が多くなった。
更に昔はその地域には子供の時代からの住人が殆んどで、だれもが同じ宗派に属していたが、現在は仕事の都合などでかなり遠方から移り住んでいる人が多いため、宗教や宗派も違う場合も多い。そのため「ご唱和願います」と言われても唱和できない人も多いように思う。

私が子供の頃は、お婆さんに連れられてお寺参りをよくしたものだ。その時広いお御堂でみんながお経を唱和していた。その荘厳な声が御堂に響き渡って、子供ながらに厳粛な気持ちになったものだ。

「行譜」と「草譜」について、地域性があるのかも知れないが、私が育った村では、いつでも「行譜」で唱えられていたように思う。これは我が家だけではないように思う。
小学校の時、お寺でお経のあげ方を習う「日曜学校」というのがあったが、ここでも「行譜」で教えられた。

母は農繁期などで忙しくて、丁寧にお経をあげている時間がない時だけ、基本的には行譜なのだが、中間部の「善導独明仏正意」から始まる部分については、今思えば草譜の節回しで短時間で済むようにしていたように思う。

善導独明・・・の節回し

70数年間も行譜で上げてきたので、日常的には草譜で、と言われても、直ぐには直りそうにもない。
大勢で唱和するような場面では「行譜」の場合が多いことを考えれば、このまま日常的にも「行譜」のままでも良いような気がする。別に草譜でなければならないという理由もなさそうだし・・・。

2021.03.16

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